KinKi FM

Twitter の TL を眺めながらエアラジオを堪能した。話の流れやコメントの概要だけでもわりとつかめるからありがたいね。

それにしても曲に対する各コメントを見聞きするにつけて色々とわきあがる思いは少なくなくて、期待ばかりがふくらんでゆく。今回、曲の OA をほとんど聴いていないので周囲の反応をうかがうことでしか判断できないのだけれど、曲名から予想する雰囲気とは異なった、予想外の方向からのアプローチが結構あるようなのでますます。

コメントひとつをとっても思うけれど、それにしてもぜいたくなアルバムだなあ。まだ『K album』を聴いてもいないうちから早計とは思うけれども、これから先、ふたりのやりたいことがゆっくりにでも形にできる、KinKi Kids がそういう場所であってくれたら……と思いを馳せたりした。今回のプロモーションを通して、そういう丁寧さとか温かさとか、なにか感じるものがあるからだろうな。

先にも触れたけれど、今回のアルバムはアルバムとしてまとめて聴きたいなあとふと思いたってから、今のところラジオでは曲の OA 部分を避けてみている。テレビ出演は我慢できなくて『願う以上のこと 祈る以上のこと』だけは聴いてしまったので中途半端なんだけど。
たぶん今回みたいなラジオをまともに聴ける環境にあったら避けきれなかったと思うので、ここまで来たら発売日まで避けきってやる、という謎の心意気がむくむくとわいてきた。あと1週間。正直なところ、はやく聴きたくてたまんないんだけど、耐えてみせよう。

相棒 Season10 #第3話「晩夏」

なかなかアクが強くておもしろい回だった。相棒はやっぱり今回みたいに事件そのものの規模は大きくない地味目の回の方が好きだな。社会風刺色の強く物々しい話も相棒の色だとは思うけど、少なくとも私がこのシリーズを「見続ける」理由はこういう味のある掌編の魅力が大きいと思う。過分な文学のにおいとでもいうか。時代錯誤にも感じる気障ったらしい物言いやクラシックな登場人物の性格、モチーフ。身動ぎしたくなるような、あの気恥ずかしいほどの物語臭さがなんだかんだ言って好きなんだよなあ。


特に物語のラストで「終わるとおもいきやまだ」を繰り返す焦らしようは、女流歌人とその師匠の引き伸ばし長らえてきた恋路の果てがあっけなくぷつりと途切れた様と、じりじりと尾を引きずりながら鳴き続けてぽとりと地に落ちる蝉の命とがシンクロして、生々しくもファンタジックだった。

みぎみみ

なんということはない、ただのうっかりの話。
耳に穴を開けるという友人の相談にのっているうちに、ふらりとつられて自分の耳にも開けたのが1年と1ヶ月ほど前の話。そろそろ安定してきて良い頃合いだろうという油断と夏の暑さの不快感に負けて、2週間かそこらうっかり放置していた結果、まんまと右の穴が消え失せた。少し皮が張る程度ならぷちりとゆくところなのだけれど、自分の体のどこにそんな生命力があったのかと疑うほど跡形もなくきれいに埋まってしまったので、おとなしく病院へ。

まあ結果どうにかなるものでもなく、おとなしくファーストピアスからの再スタートに。同じような時期に同じようなことしてると時間が巻き戻ったみたいだなあ……とかぼんやりとしつつガチャンとされてきた。さて再びのよーい、ドン。

まわす

デスクトップ PC が壊れておそらく2年程。ネットブックでしのぐ生活にも飽きたので、ようやく新しいものを購入。基本的な設定を済ませてぽつりぽつりとソフトをインストールしたりはしてみるものの、まだ違和感の方が大きくて楽しみ方から思い出さねばといった感じ。


メカニカルキーボードにもつれる指とかなかなかに衝撃的だよ。パンタグラフ式のキーボードに慣れきったなんという惰弱な指。モニタも含めいずれ買い換えるつもりでとりあえず急場を凌いでみたものの、古すぎてジャックにさすことさえかなわなかったマウスは買わざるをえず、下調べもなしにふらりと家電量販店で目についたものを購入したらまんまと失敗した。鼻の効かない私はきっと野生には還れまい。


ネットブック生活の数年の間に、小さな画面へ順応する過程で文字を読む機会が減り、打つ機会も減り(文字というよりはブログ、日記、あるいは長文、その類のもの)。行動の動機付けが環境に左右される性分だなあ。そして私は自分のこの性分が割とかなしい。


リハビリのように色々なものを触ってみるうちにふと RSS リーダなんてものを思い出してログインしてみたら、私が見ていない間のいろんな人の生活が際限なく積み重なっていてちょっとめまいがした。マウスのホイールをくるくるくるくる一定のスピードでまわしながら、車窓を眺めるように流れ行くみんなの過ごしてきた数カ月をたどってみた。ぐるぐるぐるぐるいつまでも回して、これは終わらない、と気づいて3月11日で止めた。というかなんとなくここに来るまではまわそう、と思っていたという方が正しいかな。

で、私の知るたくさんの人の数カ月がとても生々しくいきいきとして見えて、背筋が伸びた。同窓会みたいな、少し切ないような、焦燥感にかられるような、元気がでるような、くすぐったいような感覚がいいなあ……とか思って自分の日記の日付もなんとなくまわしてみたくなったのね、たぶん。


ところでこの暑苦しいCSSデザインはどういうことだろう。日記を書いてもいないのにデザインだけはいじるなんて存在意義はどこに。でもしばらくこのままにするよ。てるてる坊主のようなものと思えばいいんだ、あつくるしいデザインで涼しい秋を請う。それも不釣合ではない季節なのよなあ、すでに。定期的な更新を続けていた頃から数えれば、季節もぐるっとふたまわり近いのか。


ただいま、とはまだ言わないほうがいい気がする。

この手の届く範囲

たぶん、どうしようもなくこみ上げる思いをうまく言葉にあらわすことができないから、せめてじぶんが出来ることをしようとする。そういう衝動にかられて何度も CSS を叩いてきたけれど、勢いに任せるばかりで結局それが思いの丈に届いたことはない。でも、足りない言葉と足りない形をあわせるくらいしかこの手の届く範囲には方法がなくて、すぐにはうまく言葉にできないから、やっぱりこうしてしまうんだよなあ。


衝動に任せた相変わらず未完成なこのデザインを Kinki Kids 30枚目のシングルに捧ぐ。