『大人もぞっとする グリム童話』由良弥生

こういう過激なタイトルの童話論、一時期ずいぶんと流行っていたように思う。約5年程前だったか……と思ったら、案の定この本も「2002年第1刷発行」となっていた。私もそのたぐいの煽り文句には惹かれるものがあって、当時もいくつか関連する書籍を目にした記憶はあるのだけど、どうも「童話が残酷だとかそんなの今さらじゃないか」みたいな無駄ないきがりもあって、話題になった書籍はどれもきちんと読まないままにブームを通過してしまった。ブームに対して反発精神を発揮することはいまだにあるけれど、たいして詳しくもないジャンルにそういう反応をしていたのは若さかなあ。話を元に戻すと、つまり1冊の本としてこの系統の書籍を読むのは、今回が初体験になった。

★★☆☆☆

結論から言うと、とても入門的な1冊だった。すこしでもこの手の話題に興味を持ってうっすらと知識のある人には、この本で言及されていた程度の内容で「ぞっとする」ということはないと思う。その辺りはある程度予想がついたけど、もう少し各童話の解説が掘り下げてあるとおもしろかったかな。童話1編に対して解説が5ページ程しかないので、時代背景や解釈がとても入門的。このボリュームでそこまで掘り下げるのは物理的に難しいんだろうけど。「気にくわなかったら自分でもっと調べてみることだね」ということでしょう。以下はおもしろかった話をピックアップ。

長靴をはいた猫

女の子が主人公のお話が多い中で、長靴をはいた猫は主人公が男性だからなのか、他のお話と比べてかなり毛色が違った印象だった。これは前章の「トゥルーデおばさん」の解説に、

グリム童話の男性主人公は、どちらかというと、山師的性格の大ざっぱな人間が多く(中略)特に優れた点があるわけでもないのに、飼い猫の活躍で、気がついたら美人の王女様を嫁にもらっていたりと、女に言わせれば、ほとんどコメディ

とある通り、全体の湿っぽさが少ない。

主人公の立場と物語の視点

雰囲気が違って感じる理由はもうひとつ、ストーリーの役割上ではカラバ公爵の方が主人公的だが、実際はそこに仕える猫の方が主人公を担っていることが大きいと思う。あくまで物語の主人公は猫でありながら、「主人公である猫にとっての主人(公)」のお話であることが、他の物語と随分違ったスタイルを生み出しているのだと思う。


これに対しては最初「主人公以外の視点から主人公を見たサイドストーリー的だな」と思っていたのだけど、考えてみるとこの構図がまるきり本編に使われている形も珍しくはない。例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』で言えばキョン=猫でハルヒ=カラバ公爵といった具合(キョンはすすんでハルヒの為に何かをするわけではないので、ストーリー上の見の置き方は違うのだけれど)。お姫様や王子様でなく、それにつくす者が主人公という構図は、この童話集の中では異色に映った。こういうことは調べてみるとおもしろそうだな。

萌えよ童話

あと、、猫と公爵の関係性についてあざといまでの表現がされていて気になった。カラバ公爵から猫に対する表現が、現代のBL漫画も真っ青……とまでいうとおおげさだけど。しかも猫だよ。猫耳、擬人化、なんて完璧な装備……!というのはまあ冗談にしても、そのようなお話を好む女性たちには結構きゅんと来る部分のある内容だと感じたのがおもしろかった。結局萌えには勝てないのだよ。

ガチョウ番の娘

この話はとらえどころがなくて妙にふわふわとしている。言いたいことは解るのだけれど、そこに至るまでの話の流れがどうも不思議な話だと思う。何が好きと言う訳ではなく、幼い頃の思い出が残る話のひとつなのでそういう感慨が影響している部分もあるのかも。


幼い頃、いわゆる「人魚姫」的な定番とは微妙に外れた童話が数編、淡い色彩で細かく描かれた絵本を持っていた。収められていたのは確か『ガチョウ番の娘』『幸せなハンス』『ナイチンゲール』などで、その中でも特に『ガチョウ番の娘』のストーリーは、幼い私の目にはとても奇っ怪にうつった。侍女に王女の地位を奪われ、愛馬の首を切られ、その首と会話し、不思議な歌で少年を翻弄するという、何がなんだかよくわからない。解らないけど当然のように物語が進行して行くことが、おもしろくもある。私の持っていた絵本の絵柄は、見慣れた絵本と比べると少し大人びていて、そこからはどこか隠微なにおいがしていた。
思えば、私にとって童話は最初からキラキラとまぶしい幸せな物語ではなかったのかもしれない。そういうことを思い出せたのが、いちばんの収穫だったような気もする。