いつだって見える範囲が世界の100%だけど

なつかしいひとからメールが来た。内容は事務的な類のもの。
携帯電話を持つのが遅かったせいもあるのか、それ以前の旧友の多くとは、ほとんど音信不通に近い。いちおう連絡先を知っている相手からは、突然メールが届いて「会おうか」という感じになることもある。集まったはいいが大した計画もなく、数時間街をぶらぶらし、日も暮れる頃には「じゃあまた今度」と別れたりする。級友などまめに連絡をとっている人を見ると、自分のそれはそっけないなあと思わなくもない。


そんな関係の中にひとり、音信不通の期間がどんなに長くなっても、自分にとって相手が特別なように、相手にとっての自分も少なからずそうだと信頼している友人がいる。なんだか傲慢なようでいてこの確信はふしぎと根深く、無根拠に信じきって、もう何年になるか。相手にとってはそうでないかもしれない、でもその可能性をちっとも疑うことができない。そして、ふいに再会する度その確信を更新する。私は、少なくとも自分にとっては確信的なこの関係を、こっそりと気に入っている。また5年先にもこうであれたらいいなあと、勝手に思っている。


この数年で知り合った友人とはもう少し違った関係でいるような気がするし、趣味を通して知り合った人たちとはまた違った関係でいるようにも思う。どれが最良というわけではなくて、そうやっていろんな関係性が増えるのは楽しいことだ。

昔、ある先生が「君たちがいま知っている世界は本当に小さな世界でしかない」と言っていたのを時々思い出す。世界が広がるのは楽しい。おとなになるほどに、増えていく類の可能性だ。