しねばいいのに、という心情

「○○は○○すればいい(と思うよ!)」というフレーズをオタク界隈などでよく見るけど、どうしてこの「○○すればいいのに」というフレーズはこんなにも流行ったんだろう。「○○してほしい」でも意味合いとしては同じようなものだと思うんだけど、私も最近は前者をよく使ってしまう。


このフレーズって大抵はぽわわんとした妄想に使われているイメージがあって、嫌いではない。幸せな妄想というのは楽しいものだ。しないとわかっているけどしてくれたらいいなあ。ほんとうにしないかな? ああ、すればいいのに! という流れは欲としてとても自然だと思う。でもその分過激な内容が書かれやすかったり、ネガティブな感情を表現するのにも便利に使われている気もする。「しねばいいのに」とかはその代表格という感じ。よくみる。みんながダウンタウンのファンというわけではないだろうし広まったきっかけがそうだったにしてもそうとは知らないひともたくさんいるだろう。それでも気軽に多用されるのには別の理由があるんじゃないかなあと思う。


「しねばいいのに」って「しね」と言い切ってしまうより少し柔らかく聞こえるけど、やっぱり意味的には同じようなことのはずで、じゃあどこに違いがあるのかといったら全部を相手に丸投げしちゃってるとこだと思う。「しね」って命令だけど「ばいいのに」って付けることで他人事みたいになる。「殺したい」とかだと「自分が」「相手を」なんだけど、「しねばいいのに」って「相手が」ということしか限定されなくて「誰がそれを行うか」は限りなく透明なものにされようとしてる。「とにかくお前勝手に消えてね」って。


私はしねばいいのにとか人前であまり言わない方が良いとは思うし、例えそういうこと思ったとしても心の中にとどめておきたいけど、一方でそれを口にする人たちも「しね」って誰かに向かって言っちゃいけない言葉だと解ってるからこそ「しねばいいのに」と言うのかもしれないな、とも思った。誰が、何が、どんな運命がやるんでも良い、ただ、自分の手でやるのではないことだけは明らかにしておいて、それでも願ってるのは自分なんだけどね。