『φ』KinKi Kids

歌詞をざっと読んだだけの状態で感想第1弾を書きます。CDはいまリップ中。着うたなどもまったく聞いていないので、ほんとうに単純に歌詞だけを読んだ感想。いちど音楽を聴いてしまうと、歌詞だけ読んでも必ず音楽がフラッシュバックするから、こういうメモは機会を逃すと二度と出来ないよね。そういう意味では「シングル曲を除いた歌詞の感想」が正しいです。

全体

マイナー調? いいや、そんな次元はとうに通り越したんだよ、と言われた気分。でも、鬱々としているわけじゃない。ねっとりとした感触がない。そっちは堂本剛の十八番。さらっと空気を滑ってゆくかというとそうでもない。そっちは堂本光一の十八番。そのどっちでもなくて、両方がまざったら、ふたりのカラーは無色になってしまった。ジャケットは白と黒、ふたりも黒と白の衣装を着ているけれど、それは対比でなくて、両方を内包してるってことなんだね、きっと。無色は表現できないけど、あのモノクロは「色が無くなった」と言う意味ではとてもぴったりに思える。


光一さんは「音の遊びが好きだから歌詞に深いメッセージ性を持たせない」みたいなことをよく言うけれど、『銀色 暗号』を読みながら、つよしさんもまた「ここ」ではそうなんじゃないかと感じた。この歌詞は体言止めや単語の羅列が多い。日本語を細かく分解してしまって、単語の羅列で意味を感じ取るだけで、きちんとした文章から遠ざかっている。これは、その他の歌詞にしても同じことが言える。英語や日本語はごちゃ混ぜにされて、日本語だけでつづられた歌詞もまた細切れの単語の集合のよう。たまに全編で文意が通じるような歌詞があると思えば、平易で、見慣れた、抽象的で普遍的な世界が描かれる。内容が「心に刺さる」ような目的で、このアルバムの歌詞たちが存在しているようには見えない。このアルバムは全体的に、言葉が「リズムを感じるための道具」になっている気がする。


その分、音や声に費やしてあるものを想像していっそうわくわくする。それは「詩」も「曲」も提供されて「歌う」ことのみを担ったアイドルの、職人みたいなこだわりが突き抜けて出てきた、今の答えなのかもしれない(実際、ふたりの役割は「歌う」ことだけではないけれど、「作り」「歌う」ことの両方が絶対的に課されたアーティストの存在を考えると、彼らはやっぱり「歌う」ことが最優先に課せられているのだと思う)。

No.1

歌詞を読んでいちばん好ましかったのは『ノー・チューンド』。私は英語など得意ではないので、平易でわかりやすい日本語の歌詞に惹かれる。描かれている情景も好み。歌詞だけを読むとき、私は上に書いてきたような「道具としての言葉」にあまりぴんと来ない。でも、このアルバムは全体でそのリズムを訴えてくる感じがあるから、『ノー・チューンド』の歌詞は、逆に浮いてるようにも見える。他が無色なら、この曲だけ、うっすら青い。青って色はあのふたりには似合うんだ。濃くない、淡い青。曲を聞いて、この感想がどう転がるか楽しみ。


全体はモノクロだけど、上下が虹色なんだよね、このジャケット。