せつなさと等価

原付に乗るようになってかれこれ10年、去年の大雪で派手に滑って転んだこともあって、今冬だけ自動車を利用している。バイクにはないカーラジオから、その日の天気や由来にそった曲が流れてきて、自分が好きだとわかりきった音楽だけを聴かずに、心にとまる曲を見つけるのも楽しい。そんなふうに気に入った曲を覚えておいて、あとから1曲だけ購入してみたりする。

そうしてダウンロードした歌を、今夜もくりかえし聴いている。わかりやすくドラマチックな曲が好きで、この歌もそんな感じ。石野田奈津代さんの「春空 -ハルソラ-」という。少し切ない春の歌。切ないのがいい(話は飛ぶけれど、キンキが好きなのも根っこは同じようなことじゃないかと思う)。


私は、気に入った歌を、何度も、本当に何度もしつこく聞くので、この歌のことも、もうすこし聞くんだと思う。iPodを車に繋ぐことも考えていたのに、ぐずぐずしていたら春が近づいてきた。車ともお別れの季節。ラジオの音は少しざらざらして、私にはそれが魅力的なので、春の風の中を好きな音楽と一緒に走るのもいいけど、カーラジオは少し恋しくなるかもしれないな、と思う。


幼い頃から、いちばん好きな季節は夏だった。暑いのは苦手だけれど、部屋から感じることのできる真っ青な空や、長い日や、出歩く事を許されたお祭りの夜、そういうものをずっと特別に感じていた。「春空 -ハルソラ-」には桜が登場する。ここ数年、一段とこの花のことを好きになった。夏とおなじように、春を好ましく思う。それぞれの季節に、それぞれの思い入れを見つけていく。そこにはたぶん、せつなさという共通点がある。私にとって「せつない」ということは、いとおしさとか、しあわせなものと等価なのだと思う。


「かなし」という古語が好きだ。「胸がつまるほど、愛おしい」。


春空-ハルソラ-

春空-ハルソラ-

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