剛紫のCDをフラゲしたその日からどうしても気になって、悶々とし続けた結果、結局払拭されない疑問を今ここに吐き出す。


つよしは何度「光」とか「赤」とか「青」とかいったら気が済むんだろう。


たったこれだけのことを口に出すのにどれほどの勇気がいるか。頭おかしいのか私は、と悩み続けたこの3日間。だってこのアルバムのテーマは「光」ですと言われても「あー。知ってました」と言えるくらいには「光」をおしてくるし、いくつか某ドームで聴いた即興みたいなんあるし、挙句の果てにアルバムを締めくくる曲があれとか。つよしは赤と青を混ぜて紫にするのが好きすぎだと思います。


私はCDを買うとまずブックレットを読む。歌において、先に読んだ詩の印象を曲で上書きされることはあっても、その逆はあまりないと思っているからです。曲に詩がつくことで違った側面を感じられるという経験はあるけど曲の印象が詩によってひっくりかえったという経験は今のところない気がする。話がそれたけれども、そういう理由で、今回もCDを買った後はまずブックレットに目を通して、そのせいで奇妙な動揺を抱える羽目になってしまった。つまりは冒頭の疑問です。


ソロはソロとしておいしくいただく。そんなの、気負わなくてもあたりまえにできていたことだった、はずだった。それならなぜこのブックレットを読みながら、ここにいないはずの人が脳裏をちらつくのか……年が明けてから100日間(要するに1年の4分の1。おそろしい!)、まったく衰えを知らないキンキ熱のせいだとしたらそれは私が悪いのであって、と悶々とするうちに、なんかあほらしくなって曲を聴いてみたら、やっぱり曲の力は強い。あのどうしようもない「光」とか「赤」とか「青」とかの連呼が緩和されて、気にならなくなった。逆を言うと曲がなければ濃すぎる。なんなんだろう。決して広くない語彙の中に詰め込まれた濃すぎる空間。だからか。狭い範囲に押し込めてるから濃いのか。


とにかく、歌詞を確認しようとブックレットを開くたび、目に痛いんです。妄想するやつが変態なのか、ああそりゃ変態は変態だろうとも、ファンなんていう生き物は変態でなんぼだろ、じゃあなにか、悪いのは私か、私が悪いのか! と開き直ってひさびさにキンキ界隈のブログなどをうろうろしてみたら、みんな同じような病にかかっていたので安心しました。これはもう連想させるつよしがわるい、そうじゃなかったら100日咳よりもおそろしい「キンキ熱」集団感染です。後者の説が有力ですね。


友人に相談したら的確な一言をくれた。
「いっそブックレットに

これは光一のことではありません

という注意書きが欲しい」
うん、欲しいな。なんかもうそのほうが安らかな気持ちでいられる。

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空 ~美しい我の空

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