紫の境界

SAVE THE FUTURE エコうた』#2009.06.22

剛紫」は「244」よりも「堂本剛」に近いのかもしれない(中略)だんだんそこに戻っていくのだろうか

あの時「剛紫」という名前をはじめて目にした私はこう書いたのでした。そしてこの番組を見ながら「あれは間違っていた」と思った。


春日大社に現れた堂本剛は、なんだか珍妙な服装をしていた。私はなぜか「六郎さん*1がいるぞ」と思った。六郎さんはもう少しわかりやすい服装をしているはずにもかかわらず、首もとの蝶ネクタイから想像できたのが、せいぜい『名探偵コナン』程度だったからです。
そんな彼が唐突にそして静かに、水面に浮かぶ舞台の上で『ソメイヨシノ』を歌い始めたとき、まるでENDLICHERI☆ENDLICHERIの正装みたいに紫の服に着替えた。歌い終わったと思ったらちかごろ見慣れた真っ白なTシャツに着替え、きっとファンが想像したとおりに、最後は黒を羽織ってから剛紫のうたを歌った。


堂本剛という名前を封印して、彼が自分の活動に新しい名前を冠したとき、私にはそこに「境界線」が見えたような気がしていた。正体は不明だけれど「あっち」と「こっち」の線引きだけが、とりあえず把握できた。私はそれ自体に関して、たぶん賛成も反対もどちらの感情も抱かなかったような気がする。ただ「つよしはそうしたいのだな」と感じた。
その後、普通の人間の姓名とはかけ離れていた名前が改名のたび彼の本名の色を濃くするのを見ながら、引かれた境界線がいつのまにか薄くなって、いろんな名前に変身していた彼が元の姿に戻っていくみたいだと思った。


でも今回の放送でくるくるかわるつよしの服装を眺めながら、彼が「堂本剛」を名乗るのは、元に戻ることでも、いままでの名前=存在を融合させることでもなくて、それぞれをわけたままでいることを自分で許せるようになったということなんじゃないか、と思った。


昔、ある友人がつよしのライブタイトル「FIRST LINE*2」について「私が好きだった過去を否定してほしくなかった」と言ったことがあった。「最初」という意味を冠したことでそれ以前を否定されたようだ、と。私はそれ以前のつよしのライブを見たことがなかったというのもあって、正直そこまでピンときてはいなかったのだけど、今なら少しわかる気がする。


私は、今のつよしが好きだなあと思う。奇抜な色もシンプルな色も「両方持ってるのが自分なんだ」と信じてるみたいなあの穏やかな顔が好きだ。それは嬉しさよりも、安心に近い。いろんな顔を、いろんな色を、全部自分だと言うようで、つよく見える。

http://tsuyoshi.in/

新しいサイトのURLが表しているのはきっと「剛」で、でもそれは「剛紫」のサイトから誘導される繋がった世界で、そこに境界はない気がする。その姿を実際にその目で確かめることができるのは、いまのところ7月のたった2日間、わずかな人数限りだけれど、今回のこの放送は、その一端を垣間見させてくれたような気がしたのでした。


ひとまず、決戦は今朝10時。

*1:33分探偵

*2:『TSUYOSHI DOMOTO 2nd LIVE [si;] 〜FIRST LINE〜』#2004