SHOCK中止に思う

色々考えたけど、彼に向ける言葉などひとつも浮かばなかった。かわりに、まとまりのない想像をした。光一さんはよく自分のことを裏方的な仕事が向いていると言うけれど、私は、SHOCKの光一さんのことを「仕事人」として見ているのかもしれない。必殺ではなく、特別なものでなく、仕事にひたむきな、人。


情けない話をすると、私は、どうしようもなく替えの利かないたった1発ための舞台(もちろんここで言うのは演劇のことではない)に立ったことがない。そういう機会がなかったのではなくて、私がそういう風に生きてきたというだけのことだと思う。いつも力を調節して、あとでしんどくならないように生きている。無意識のうちにそういうストッパーがかかってしまう。最中に制限をかけている自覚は必ずしもあるわけじゃない。


今まで、「何がなんでもやらなくてはならないことがある」というのは正論であって実感ではなかった。最近になってそういう状況があると言うことを、少しは理解できる。仕事と自分の立ち位置に置き換えるようになったのかもしれない。それでも、本当の修羅場というものには立ち会ったことはない。


例えば、自分のことを考える。あるデータをある時間までに送らなければならないとき、WEB経由で送るはずが通信状態がおかしいとなったら、可能な距離であればきっと人の手で運ぶことになるだろう。不可能な距離であれば、通信の方にかけるしかない。通信をどうにかするというのは私の能力を超えた話なので、専門の誰にお願いすれば、どうにかしてくれるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。どうにかならなかったとき、謝ることになるのは、そのデータを送る役目を担っていた人、つまり自分だろう。通信状態が悪かったからといって、通信会社の人が直接クライアントに謝る訳じゃない。


責任を取ったり、修羅場になったり、できればそういうことを避けて生きたい。プレッシャーに臆病だから、無意識に防御するんだろう。でもそれを乗り越えて、替えのきかないものに挑めるようになりたいな、とも思う。どうにかしなくちゃいけない。でも、どうにもならないときもある。私がまだ出会ったことのないその瞬間を、『Show must go on』を読みながら想像した。


森さんは「天使」だと言った。それはとても嬉しい言葉だったけれど、きっと私にとって光一(コウイチ)は、すごく、すごく「人」なんだな。もしかしたらアイドルよりももっと。